元老 元帥公爵 大山巌 墓所
栃木県 那須塩原市
(令和6年5月18日現在)






元老 大山 巌
(iwao OHYAMA)
称号、階級 「元帥陸軍大将」
栄典(位階勲等、爵位) 「従一位大勲位功一級公爵」
家紋 「丸に隅立て四つ目」






元帥陸軍大将従一位大勲位功一級公爵
大山 巌




元老 大山巌元帥公爵 の曽孫
大山格氏との記念写真




国歌 「* 君が代 」 を演奏する
元老 大山巌元帥公爵 の曽孫
大山格氏




栃木県那須塩原市の大山巌墓所参道
椛(モミジ)、檜木(ヒノキ)並木が、新緑や紅葉の時期には美しい景観となる。




元老 元帥公爵 大山巌 墓所
栃木県 那須塩原市
(令和6年5月18日現在)



* 日本の国歌 『 君が代 』は、
10世紀初頭の勅撰和歌集、『古今和歌集』、「読人知らず」の和歌を初出としている。
世界の国歌の中で、作詞者が最も古いとされている。
当初は「祝福を受ける人の寿命」 を歌ったものだが、
転じて「天皇の治世」を奉祝する歌となった。


 

我が国の国歌、『 君が代 』の出典は、『古今集』賀の巻頭
「我が君は千代に八千代にさざれ石の巌となりて苔のむすまで」
明治維新の後、日本に国際化の波が押し寄せ、対外的な外交儀礼上、薩摩(鹿児島)で、国歌のようなものが必要になった。
当時薩摩に来ていたイギリス歩兵隊の軍楽隊から、日本を代表するような曲はないかと打診される。
それまで日本は国歌を持っていなかったし、持つ必要性も感じていなかった。
そこで当時、薩摩の歩兵隊長を勤めていた大山巌が、自らの愛歌、愛唱していた薩摩琵琶の「蓬莱山」という曲の一部である「君が代」を推薦した。
( つまり、「君が代」が国歌となる道筋を付けたのは大山巌ということになる。)
明治3年に、「君が代」の歌詞にイギリス陸軍の軍楽隊長フェンライトが曲を付けた。
しかし歌詞と曲がしっくりしていないとして、雅楽課の奥好義が日本古来の旋律をもとにまとめ、上司の林広守が補作して曲として完成させた。(明治13年)
これが現在の「君が代」の始まりで、これにドイツ人のフランツ・エッケルトが洋学の和声を付けた。
これが長く運用され、オリンピックなどのスポーツ競技の優勝者を称える際、
小中学校で式典が行なわれる際に歌われてきたが、
平成11年8月13日に、国旗及び国歌に関する法律によって、「君が代」が日本の国歌と制定された。
歌詞が一番しかない「君が代」は、世界で最も短い国歌の一つである。