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特集:鬼平と瓊玉膏(けいぎょくこう)
「鬼平」 長谷川平蔵外伝
鬼平と瓊玉膏 “鬼平”長谷川平蔵外伝
@裕福な名門旗本の生まれ
「鬼平犯科帳」(池波正太郎)でおなじみの“鬼平”こと火付盗賊改・長谷川平蔵宣以は、
延享二年〈1745年)江戸・築地湊町(中央区湊)に生まれ、銕三郎と名づけられた。
そもそも長谷川家は当主・正長が元亀三年(1572年)の三方ヶ原の合戦で戦死して以来、
代々西城御書院・番士(将軍の親衛隊)をつとめる裕福な名門旗本で、
平蔵の父・宣雄は火付盗賊改から京都町奉行に出世した人物である。
A世の裏も知る“鬼平”誕生
平蔵三十歳のとき父・宣雄が亡くなって小普請組に入ったが、この前後よく遊んで無頼の輩とも交わった。
「本所の銕」と呼ばれ、放蕩のかたわら裏社会をつぶさに見た。
一方で名門だから出世もした。三十九歳で西城御徒士頭、布衣の侍となった。
布衣とは 麻の狩衣を着ることを許可された幕府高官になったということだ。
さらにこの時期権威をふるっていた老中・田沼意次に取り入り、
平蔵は天明七年(1787年)9月19日には火付 盗賊改に任じられた。
「盗賊を捕らえて死刑に処し、僅かの間に六百人の首を刎ねたり」(佐久間長敬<清陰筆記>という。
「本所の銕」時代に無頼の者たちとつきあった伝手を利用して岡っ引、下っ引を密偵にして次々とワル共を検挙し、
厳しい取り調べで次々と悪事を白状させた。これぞ“鬼平”たる由縁である。
B世界初の人足寄場を運営
寛政二年(1790年)田沼意次の次の老中・松平定信が、
平蔵の建議に従って佃島・石川島(中央区佃島)に人足寄場を設けることになった。
定信案を平蔵が具体化したともいわれるこの人足寄場は、無宿者や刑期を終えた軽犯罪犯を収容し、
手に職つけて社会復帰させようとする世界最初の画期的な犯罪者の更生施設だった。
が、その金を捻出するために平蔵は寛政三年(1791年)四月、
金一両が銅銭六貫二百文に暴落したのを見はからって幕府から借りておいた三千両で銅銭を買い入れた。
それが一両日で反撥して一両五百文に高騰したから平蔵は買った銅銭をすべて両替屋に売り、
そこで出た利益を人足寄場の運営に当てた。
みごとなやり方だが、しかし、四角四面の堅物の松平定信はこういうあざとさを嫌って人足寄場の経営から平蔵を外した。
ときに平蔵四十七歳で、これ以降が半隠居、という生活に入ったと考えられる。
C最後まで江戸の治安を
ところが、平蔵は夢中で働きつづけた。
火付け盗賊改として仕置き(裁判)を数多くこなし、懸命に取り調べに当たり、
不景気で悪化していた江戸の治安を回復する努力を重ねた。
十一代将軍・家斉が感服して黄金三枚と時服(褒美の着物)をあたえるほど働いたから、
庶民は「近来稀なる老吏にて(中略)取らえがたき盗人をもあまたとらえ」(款歳余禄)
と褒めたたえ、平蔵を「今大岡」と呼んだ。
が、平蔵は働きすぎの疲れが出てか、寛政七年(1795年)四月、倒れて重病に陥ってしまった。
*家斉は心配して、自分が服用している貴重薬の「瓊玉膏(けいぎょくこう)」を届けさせた。
高麗人参、蜂蜜、地黄など七種類の生薬を調合した滋養強壮剤である。
「鬼平と瓊玉膏(けいぎょくこう)」
@瓊玉膏(けいぎょくこう)とは
瓊玉膏は、文献によると、中国、宋の時代、約1000年前頃に初めて考案されたことになっている。
正式に医学・薬学書に著されたのは1600年前後の頃で、
有名なものに、本草鋼目(1578年)
・東医寶鑑(1613年)
・壽世保元(1615年)・・・他、
多数に記載され、いずれの書にも最高の敬意と最高至高の薬剤として表現されている。
A「東医寶鑑」では巻一の内景篇の「養生延年薬餌」の一番最初に掲載され、
「填精補髄、調真、養生、若返りなどの膏薬として、百損を補い、百病を除去する。
五臓が充ちあふれ、白髪が黒くなり、歯が再び生えそろって、奔馬のようにかけめぐり、
1日2〜3回服用すると一日中空腹を感ぜず、その他効用多し。
一料の五分の一を服用すると痰疾が治り、十分の一を服用すると疲労がなおる。
27年間服用すると360歳まで、
64年間服用すると500歳まで生きられる」
と記述されている。
B瓊玉膏は、始皇帝と徐福の伝説にあるように、
不老長寿の薬を追い求めてきた歴代の中国皇帝に
“臓器の調和を保つことによって長生きする薬”
として愛用されたほか、
韓国「李王朝」の王室、
わが国では徳川将軍家が珍重したといわれている。
C瓊玉膏は将軍からの稀有の思典
江戸寛政時代に編纂された「寛政重修諸家譜」の長谷川家、
家譜図の中に平蔵が瓊玉膏を授かったことが記載されている。
この書は、旗本八万騎の各家の系図、由緒等が書かれており延べ1千五百三十巻に及ぶ大書である。
記載内容は、
〈時の十一代将軍家斉より五月六日、お側衆、加納遠江守を鬼平の屋敷に遣わし、うちうちより瓊玉膏を賜った・・・〉
とその事は、稀有の恩典として記している。
平蔵が将軍家斉から賜った瓊玉膏は朝鮮通信使から将軍への献上品であったと推察されている。
朝鮮通信使とは江戸時代、朝鮮と対馬藩の間では、鎖国中も朝鮮人参の交易が行われ、
幕府将軍交代の折には祝賀として計十二回の通信使一行が朝鮮から来日したもので、
一回に三百〜五百名の人員で朝鮮の中でも一流の知識人ばかりで構成されていたといわれている。
その時の将軍への献上品に、朝鮮人参、虎皮、黄蜜等多数あり、
別格として瓊玉膏(けいぎょくこう)が含まれていたものと考えられている。
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